【愛は実践】
愛は理屈ではありません。
慈愛は実践です。
何を語り、
何を行うかで人生は決まります。
何に関心を抱くかで、
あなたの人生は決まります。
『愛は行動である』ことについて、
『心が折れそうなときキミを救う言葉』(著者 ひすいこたろう 柴田エリーソフトバンク文庫)
の中に、こう書いてあります。
「9月10日。
この日は現在、
とある女性にとっての『決意の日』と呼ばれています。
その女性とはマザー・テレサ。
彼女の運命を変えた日です。
1946年9月10日。
テレサが入会していた修道会には、
神様だけのことを考えて過ごす黙想会が年に1回行われていました。
そこへ向かう汽車に乗った若き日のテレサ(当時35歳)。
いつものようにお祈りをしようと思いますが、
なぜかこの日は心が静まりません。
そしてテレサの頭には、
インドのスラム街で苦しむ人や死体の山が浮かんできます。
このとき、
テレサの心の中でふと声がしたそうです。
『修道会を出て、スラムへ行きなさい。
そして貧しい人の中でも、本当に貧しい人に仕えるのです』
もし、
あなたが、このときのマザー・テレサの環境に立たされたら、
どう行動するでしょうか。
10代の頃から20年近くも一緒に過ごしてきた修道会のシスターたちは、
もう家族同然の仲間たち。
そのみんなに別れを告げて、
誰も知り合いのいないスラムへひとり乗り込んで行くなんてできるでしょうか?
しかも、
誰かに言われたわけでもない。
ふと心の中で聞こえた声がその理由にすぎないのです。
けれど、
このときテレサは自分の内なる心の声に従おうと決意しました。
どんなに寂しくとも行く。
テレサは仲間に別れを告げ、
これまでの黒い修道服を脱ぎ、
白いサリーに着替えました。
テレサがまず向かったのは、
医療宣教修道会『聖家族病院』です。
スラムで活動するために、
看護の知識を身につける必要があったからです。
結核やハンセン病の知識、
処置の方法、
助産婦さんの仕事など、
ほかの人が2年かけて勉強する内容をテレサはわずか4カ月で学び終えました。
一刻も早くスラムへ行って助けになりたい。
その一心で猛勉強したからです。
そして必要な知識を身につけ、
いよいよスラムへ向かいます。
(中略)
1950年代当時、
インドのカルカッタでは20万人もの人が路上で生活し、
お金がなくて病院へ行けずに死んでいく人もたくさんいました。
そのスラムで、
テレサは、病気の人の手当をし、
子どもたちに文字を教えました。
でも、
人々は肌の色が違うテレサを警戒して、
石を投げつけたりもしたのです。
スラムの人たちの助けにないたい一心で、
たった一人でスラムにやってきたテレサ。
しかし、
結果は、石を投げつけられる始末。
一体どんな心境だったのでしょう・・・・・。
当時のことをテレサはこう振り返ります。
『くじけそうなときもありましたが、私はよい教訓を学ぶことができました。
毎日スラムを歩き回って仕事をして、疲れ果てたそのとき、
私はようやく貧しい人々が、
住む場所や食べ物を得るためにどれだけ苦しい思いをしているのかを理解することができたのです。
この思いはスラムの人々の立場になってみないとわからず、
彼らの気持ちを理解することができたからこそ、
私は自分の仕事に対するやりがいを感じることができました』
驚くべきことに、
テレサは石を投げつけられてつらいとか、
自分の惨めさに対して意識を向けていないんです。
そうではなく、
スラムの人たちがどれだけ苦しい思いをしてきたのかを身をもって理解できたと、
相手の気持にフォーカスを当てています。
心の矢印が、
自分ではなく相手を思いやることに向いている。
これが『愛』です。
(中略)
その後、
テレサは大寺院の休憩所を使う許可を得て、
路上で死にかかっている人を運び、
そこで看護を続けました。
ここではまず、
体をきれいに洗ってあげ、
傷口の手当てを。
また、
体にわいているウジなども取り除いてあげます。
そして連れてきた人が亡くなったときには、
その人の信じていた宗教のお葬式を執り行いました。
しかし、
事情をよく知らない人たちが、
『死にそうな人を連れてきてカトリック信者に変えている』
と噂を流し、
またもテレサは石を投げつけられ、
ツバまで吐きかけられるようになってしまいます。
テレサと一緒に働きはじめていたシスターたちも、
これには怯え出しました。
でも、
テレサは言いました。
『怖くなんてないですよ。
神の所へ行くのがちょっと早くなるだけのこと』
神さまの所へ行くのがちょっと早くなるだけなんて、
すごい理屈です(笑い)。
愛あるところに、
恐れはないのです。
テレサの覚悟は決まっていた。
どんなに誤解されても、
危険な目に遭っても、
内なる声を信じて、
自分の道を貫く。
そう、
『愛』とは覚悟です。
やがて、
『マザー・テレサを追い出せ!』
というデモが起こり、
警察まで出動しました。
そしてついに、
警察署長がテレサの施設に取り締まりにやって来たのです。
取り調べを終えた警察署長は町の人たちにこう言いました。
『マザー・テレサとシスターたちを追い出してやろう』
でも、
その言葉には続きがありました。
『しかし、君たちのお母さんやお姉さんがマザーの代わりにここで、同じように看病や食事の手伝いをしてくれるならばだ!』
警察署長は、
テレサやシスターの心のこもった看病に感動したのです。
噂は間違いだったとわかったのです。
(中略)
テレサの施設に運ばれてくる人々は、
死を直前にしている人たちが多く、
どんなに手当を施しても、
もう死を待つだけの人々をテレサたちは手厚く看護したわけです。
『あなたのやっていることは意味がない』
と言われることもありました。
でもテレサの考えは違いました。
『食べ物や、着る物がない貧しい人は世界にたくさんいますが、
この世で一番貧しいことは・・・・・誰からも愛されてないと思う心の貧しさです』
だからこそ、
愛してあげることが大切なのだ、
とテレサは言いました。
あなたは望まれてこの世に生まれてきたんですよ。
あなたはかけがえのない大切な人なんですよ。
そう伝えてあげたのです。
ある老人は死を迎える直前にテレサにこう言いました。
『私は今まで、動物のように生きてきました。
でも、あなたたちに見つけてもらって一生の終わるときにこの家に来て、
私は天使のように死ぬことができます』
(中略)
1979年。
内なる心の声に従って、
ひとりでスラムにやってきて34年後のことでした。
『私のための祝賀パーティは必要ないので、パーティーをするために用意してくれたお金を世界中の貧しい人たちのために使ってほしい』
とテレサは頼みました。
ちなみにこのお金は1万5000人もの貧しい人たちの1回分の食事に変わりました。
自分のすべてを困っている人たちに捧げたマザー・テレサ。
マザー、
あなたに休む時間はあったのですか?
テレサはこう語っています。
『天国へ行ってからゆっくり休みます』
『私の行いは大河の一滴にすぎない。
でも何もしなければその一滴の水も生まれない』」(50頁〜57頁)
どれだけ多くのことをしたかではなく、
どんな心でそれをしたかが大事です。
『その行動はエゴか、愛か?』
が問われます。
『あなたが抱く思考、口にする言葉、そして実行する行為のすべてが、この世の中に利益をもたらすものだと思いなさい』(ディーパック・チョプラ)
(推薦図書)
『心が折れそうなときキミを救う言葉』
(著者 ひすいこたろう 柴田エリー ソフトバンク文庫)
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