【仏性とは何か】
仏性(ぶっしょう)とは何でしょう?
大辞林に、こう書いてあります。
「仏としての性質。仏の本性。
仏となれる可能性。
大乗仏教では、すべてのものにそのような性質・能力がそなわっているという。」
ブリタニカ国際大百科事典には、こう書いてあります。
「完全な人格者、仏陀となるべき可能性をいう。
われわれが仏陀の教えを聞き、
その教えに従って修養努力して行くことによって、
ついには完全な人格者となることができるのは、
われわれのうちに真理を理解し、
それを体得実現しうる可能性があるからで、
この能力が仏性である。」
山川 世界史小辞典には、こう書いてあります。
「すべての人間が生まれながらにして持っているとされる、仏とまったく同一の本質、本性のこと。
大乗仏教では
『人々の心は本来清く正しい』
とか
『すべての人間は仏の子であり、将来に仏となる可能性を持つ』(=如来蔵(にょらいぞう))と説いた。
同じ思想が『涅槃経』(ねはんぎょう)では
『一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)』(すべての人が仏の性格を本来的に具えている)として表現される。
この考え方は、中国、日本の仏教の展開に大きな影響を与えた。」
倫理用語集には、こう書いてあります。
「仏になり得る素質。
衆生の内に蔵された如来(仏)の性質という意味で、如来蔵(にょらいぞう)ともいわれる。
大乗仏教では
『一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)』が説かれ、
基本的にあらゆる衆生が平等にこの仏性を備えているとみる。
これは、
悟れる者とそうでない者、
また悟れる者の中でもどの段階までの悟りに至れるかの差は一人一人の資質に応じて決定されているとする従来の仏教の見方に対して、
平等な人間観を主張したものだが、
同時にすべての衆生に仏になるための修行の実践をもとめるものでもあった。」
岩波 仏教辞典には、こう書いてあります。
「衆生が本来有しているところの、仏となる可能性。
〈性〉と訳されるdhatuという語は、
置く場所、基盤、土台の意であるが、
教義上〈種族〉(gotra,種姓)および〈因〉(hetu)と同義とされる。
gotraは元来、種姓、家系の意であるから、
仏性は仏種姓(仏種)すなわち仏の家柄で、その家に生まれたものが共通にもっている素性の意ともなる(その所有者が菩薩)。
また、将来成長して仏となるべき胎児、garbha(=如来蔵)の意味ももつ。
仏性の語は、
大乗の涅槃経において『一切衆生悉有仏性』の句で表現されたものを初出とする。
これは如来蔵経の
『すべての衆生は如来蔵である』
という宣言を承けつつ、
衆生のうちなる如来、仏とは、煩悩にかくされて如来のはたらきはまだ現していないが将来成長して如来となるべき胎児であり、
如来の因、かつ如来と同じ本性であるという意で、
仏性と名づけたものである。
具体的にはそれは、
衆生に本来具わる自性清浄心と説明されるが、
平易に言えば、
凡夫、悪人といえども所有しているような仏心(慈悲心)と言ってよいであろう。」
仏性とは、
仏心のことです。
仏心とは、
仏のように慈悲深い心、
情け深い心のことです。
本来、
人は皆、仏心を持っています。
相手を思いやる心、
慈悲の心、
慈愛の精神を持っています。
仏性を発現させるべく、
共に精進しましょう。
(参考図書)
『岩波 仏教辞典』
(編者 中村元 福永光司 田村芳朗 今野達 岩波書店)
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